音楽レビ 映画レビ ひとこま画像 2004年6月19日号
 
 【毎月更新ブックレビュー】 著:ポータルサイト勤務 高橋明彦(29)
今月の一冊
「草の花」
福永武彦
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突然ですが…皆さんは何の為に本を読みますか? 楽しむため?単なる暇つぶし?それとも「そこに本があるから」でしょうか。

昔、聞いた話で…
「本には様々な考え方、生き方がリアルに描かれている。読書は、それらを知り・感じ・擬似体験をすることによって、他者の多様性に触れ、自分の人間としての「キャパ」(許容量)を広げることができる。」 というのがありました。
面白い考え方だな、と思って覚えていたのですが、今回の「草の花」を読んで、その話を強く思い出してしまいました。人生の薬や糧になる、そんな類の本です。しかし…良薬は常に「苦い」事は、飲む前にお伝えしておきます(笑)

この小説を一言で説明するなら、なんと言いましょうか…「どこまでも閉塞してやり場の無いもどかしさ。青く若く眩しく、潔癖な孤独を愛し、自虐的かつ苦しい本」でしょうか(苦笑)

ざっと粗筋を紹介しましょう。

この本の語り手としての「僕」は結核を煩いサナトリウム(療養所)にいる。
多くの人が結核に怯え日々を暮らす中、一人飄々と死を意識させずタバコをくゆらせる男、それが「汐見茂思」であった。病状の悪化した汐見は周りの反対を押し切り、成功率の低い手術を懇願する。そして厳寒の中汐見の、無謀とも思われる手術が行われる…。なぜ彼は無謀とも言える手術を望んだのか、そして、それにまつわる彼の過去とは一体何なのか。彼の残した2冊のノートが今、静かに開かれる・・・。

この本の底に流れているもの…若者の「孤独」と「純潔」。「愛する」という事。戦争によって確実に近づく「死」。そして全てに対しての「葛藤」。
これらのどれもが、軽く手に取った本の内容にしてはヘビー極まりなかったです。甘い気持ちで読み始めた僕へのきついカウンターパンチ。それが僕の「草の花」という本の印象でしょうか。

刊行はなんと昭和29年。だからでしょう、この本は今とは根本的に「作り方」というか「身の削り方」が違うように思います。誰かの為のエンタ ーテインメントではなく、私小説的というか、ある種ドキュメンタリー的な「ざらついた」感じを受けます。もちろん、戦時中という時代背景も、この小説に色濃く影を落としていると思います。

この小説は前半と後半の二章に別れ、趣が大きく異なっています。
前半は「尾崎豊的私小説」とでもいいましょうか。尾崎豊にとっての「歌」が、まるで主人公汐見にとっての「愛」にあたるような、そんな同期を感じました。
どこまでも求め続けても、決して手に入らない望むべき本質。歌とは何か?愛とは何か?誰のためか?自分はそれに値するか?苦しんでも信じる道を進むべきか?はたして真実とは何か?
…そんな尽きることの無い「渇望」にお互い通じる部分があると、僕は勝手に確信しています。

それに対して後半は…こちらも尽きることの無い「もどかしさ」が物語を支配します。前半部には有った勢いや清々しさは失せ…後悔と諦念にまみれた物語。「潔癖」と「愛情」、そしてそれ以上の「孤独」を引き連れて、一人で無駄に悩み続ける汐見の姿がこれでもかと描かれていて…正直、読むのに疲れました(笑)

しかし、そんな疲れるほどに重いテーマを紡ぐ言葉は、非常に秀逸です。

「僕は現在も未来も無い人間で、ただ過去を待っているばかりだ。そんな僕がいったいどうしたならば、真に生きることが出来るだろうか。むなしく過ぎる人生は、いったいどうすれば真に自覚して引きとめられるだろうか・・・」

「そして僕は、今にしても尚解けない謎、愛するというこのことの謎を明かして、微笑しつつ死ぬことも出来るだろう・・・」

作品全編に渡ってちらばっている、こうしたひどく情緒的で重々しい言葉たち。
僕は、嫌いじゃないです。昨今の小説には見られないこの芯のある「重さ」が、逆に安定と心地よさを感じさせるのかもしれません。

この重々しさにイライラして、なんてつまらない本だと思う人もあるかも知れません。特に悩みがある人、ちょっと心が弱っている人など、本書に引っ張られて心が暗くなってしまう事があるかもしれません。
しかし、そうした「苦い」部分を差し引いても、1度は読んでおいて意味のある本だと思います。決して「楽しく」も無いし、「ハッピーエンド」でもないですが、人間としてのキャパ(許容量)を広げてくれる、そんな小説だと思うんです

6月の陰鬱な梅雨空の下…あえてこんな重々しいヘビーな本にチャレンジしてみるのも一興かも知れませんよ。

評者→高橋明彦(29):好きなジャンルはもっぱらミステリー。年食ってから一番印象に残った本は京極夏彦「姑獲鳥の夏」。人が死なないストーリーの本も楽しく読めるように鋭意努力中。

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