音楽レビ 映画レビ ひとこま画像 2005年3月9日号
 
 【毎月更新ブックレビュー】 著:ポータルサイト勤務 高橋明彦(30)
今月の一冊
「世界の中心で、愛をさけぶ」
片山恭一
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なぜ人は無くしてしまった、手の届かなかったモノに対して、いつまでも忘れられず、それを美化してしまうのでしょうか?時には「現実」すら凌駕するほどに。

突然の感傷的な書き出しですが・・・こんな事を本書「世界の中心で、愛さけぶ」を読んで考えました。
どうもブックレビューです。今回は「世界の中心で愛をさけぶ」を、改めて読んで見ました。かなり時期ずれの感もありますが、DVD大売れ記念と言うことで、ご容赦を。本著は、史上初320万部!を超える売り上げを叩き出したベストセラー。
※脱線ネタを一つ。ハリーポッターの「賢者の石」はどれだけ売れた?答え=全世界1億部。史上3位です。え?1位と2位はって?2位は毛沢東語録。1位は聖書です。宗教と中国人、恐るべし。

今回は、そんなバカ売れした本書「世界の中心で、愛をさけぶ(俗称セカチュー)」を読みました。
この本はどんな本か。レビューをするのが仕事なのですが…なんともいいようが無いですね。粗筋をいうなら「超大好きな恋人ができて幸せな日々。突然、彼女が白血病で倒れ、大きな悲しみが訪れる。でも人は生き続けなければならないよね。。」・・・これが全てです。粗筋も良さも悪さも、酸いも甘いも、書評もレビューもこれ以上、語る言葉が見つかりません。誤解を恐れずに言えば、ごく「単純」で「シンプル」な直球ラブストーリーです。京極夏彦のような卓抜したストーリーテリングも、石田衣良のような現代感覚に富んだ巧みな文章も、村上春樹のような上質な文体もいいまわしもありません。ただどこまでも真摯で、王道で、青い、恋愛小説です。むしろ、僕が試しに書こうと思ってもかけないくらいの、まっすぐさで。作者、片山恭一さんの事は良く存じませんが、きっと「すごくまじめな」方なんじゃないかなと思いますね。

そこで僕は思いました。
この本は、今言ったとおり、珍しいくらいの「普通」なラブストーリーである、と。翻って、この本を読んだ感想というのは、逆に受け手を映す鏡になるんじゃないかと感じました。例えば…

「話がキレイすぎてどうも感情移入ができなかった。」  ・・・いろいろ見てきたんですな。お疲れ様です。。
「すごい感動した!私もああいう恋がしてみたいなって思いました」 ・・・隣の彼氏が「オイオイ、マジかよ」って顔してます。まだ青いです。
「ぜんぜんツまらなかった」 … そうですか、、、何か過去に「失ってしまったもの」はありませんか?

そう、僕が思ったのは、この本はピュアだからこそ、「もう取り戻せない何か」を想いだすキーにもなるんじゃないかな、と。
読んだ人のココロの色によって変わるリトマス試験紙のように。その人が抱えてる記憶のイロに反応して、切なさや面白さ、感慨深さなどが変化する、そんな本のような気がします。読む読まないは好き嫌いもありますが、彼氏や彼女に読ませて「どうだった?」って反応を聞いてみると案外面白いかもしれません。まあ、相手が本音を話すとは限りませんが、、、。

この本のストーリーテリングは、すべて主人公の彼(朔太郎)の視点で語られ、場面の心象風景や心の声も一人称は全部彼です。
という事は、もしかしたら彼女(アキ)の方は、意外と彼ほどにに思いつめてなかったり、なんとなく一緒にいれればいいなあ・・・くらいの気持ちだったかもしれません。でも彼は、この愛を至上のものと信じ「この愛を信じる力だけで生きてはいけないか」とさえ言い出すほどのピュアな気持ちを募らせます。「男」側がいつまでたっても思い出をキレイなものとして、「彼女(過去)」を引きずって先に進めずに立ち止まってる。
意外と女性の方がサバサバしてる事が実は多いイメージなので(笑)そういう意味でも、やっぱりこれは「男性」が書いた「キレイ」な恋愛小説だなあ、って思わざるを得ないです。それが受けたんでしょうかね、今の殺伐とした世の中。

と、ざざっと述べてきましたが、ここからは私的な本音と屁理屈を述べたいと思います(笑)
はっきり言いましょう。この本では誰も「世界の中心で愛をさけんで」いません。それどころか、大田区の中心ですら愛をさけんでもいません。 (比喩的な意味で、ですよ。)あくまで彼の脳内恋愛を中心に話はすすんでますから、どこにも「愛を声高に」叫んでないし、むしろ悶々と情欲をもてあましたり、自分勝手に2人の将来に思いを馳せたりしてるくらいで、慎ましいもんです。そして、シンプルすぎる本書の内容、きれい過ぎるストーリーには、すべからく「深み」が無いとも感じ取れます。・・・それらを統合すると、読後にひっかかる小骨はズバリ「悪くないけど…こんなに売れる本か?」という実感です。

私の私見ですが、やっぱりこれも最近の本にありがちな、「ネーミング」と「マーケティング」の大勝利だと。つまり、この「世界の中心で愛をさけぶ」という、「うお!すげえスケールの恋愛小説だな、おい!」と思わせる人を引き付けてやまないキャッチーさ、と「柴崎コウ」というちょっとスレたキツメの人気女優(偏見だったらごめんなさい)が「泣きながら一気に読みました。私もこれからこんな恋愛をしてみたいなって思いました。」と、帯にドカンと貼り付けて大々的に広告に成功した小学館マーケティングチームの勝利だと思われます。
でも、これさっきの理論でいうと、柴崎コウは、「泣いた」+「こんな恋愛いいな」と言うところから・・・君、恋愛経験少なくないか?青くないか?という結論を導き出しそうですが、それは拙速でしょう。なぜなら、映画の主役やらをしてるのでビジネス的な要素も捨て切れません。そもそも本書の刊行は2001年。映画が2004年。柴崎コウの宣伝が始まったのが去年。是非、彼女に映画で主役の話が来てから「セカチュー」を読んだのか。それとも読んで感動して、帯の仕事をしたから映画の主役の話も来たのか。さて、どんなもんでしょう。

すいません。汚れた大人で(笑)でも、フォローではなく、けっして悪い本ではないですよ「セカチュー」。
でもでも、、、、、もっともっともっともっと良い本があります。本書に感動した人には、これをきっかけに、もっともっといろんな本を読むことをお勧めします。僕がいうのも恐れ多いですが、、、文学まだまだ奥が深いです。この本の不幸は、前評判が高すぎたことでしょう。僕もそうですが「すごい感動する!」と言わると、泣かなくちゃいけない!とか、どれほどのもんだろう、と身構えたりと、逆に過剰な期待で「それほどでもなかった」という場合が多いですから。

ただ・・・感傷的に思いを馳せるにはイイ本かとも。「人は過去を美化して生きる生き物」ですから。
それは、もしかしたら、もう二度と汚れることも、手に入れることもかなわないがゆえに、「自分の理想を映すの鏡」になってしまうからなのかもしれないですね。逃した魚は大きい…という薄っぺらい諺ではなく、失って二度と手に入らないからこそ…尊く、淡く、切なく、そっと大事にしてしまうのでしょう。でも、本当はもっともっと大事なのは、今現実にそばにあるモノであったりする事に気が付かない…皮肉なものです。それもまた失って大事さに気が付く・・・の繰り返しだったりするのですから。

以上、ブックレビ高橋でした。またお会いしましょう。

評者→高橋明彦(30):好きなジャンルはもっぱらミステリー。年食ってから一番印象に残った本は京極夏彦「姑獲鳥の夏」。人が死なないストーリーの本も楽しく読めるように鋭意努力中。

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