今月の一冊
「31歳ガン漂流」
奥山貴宏
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ブックレビューをご覧の皆様、部屋の模様替えに挑戦し、想像力と体力のなさに打ちひしがれている浅羽です。
僕ら生きている人間は、同じ人間が死んでいくダイナミズム、死へ向かう人の感情の変遷に、図らずも涙する。そして作者はそこを狙って作品を構築する。
この仕組みを覆そうと企てたひとりのライターがいます。宮藤官九郎が「不滅の男」と称した奥山貴宏です。
彼が書こうとしたのは、生死のダイナミズムでも、感情の変遷でもありません。死へ向かうひとりの人間の記録。つまりデータです。
ガンに侵され余命2年と診断された人なら、生死について葛藤しないはずはない。きっとその人にしかわからない希望と絶望を繰り返すだろう。その葛藤の中身を文章にして共感を、感動を、涙を、という姿勢を奥山貴宏はことごとく排除しようとした。
柳美里は自分の魂を売り尽くして、他人の魂まで切り売りしているが、奥山貴宏は死の恐怖に打ちひしがれる姿を描かずに、ガンダムのプラモデルの完成度に自己陶酔する姿を描く。絶望に涙する姿を描かずに、ラーメンや蕎麦の味を評価する。シーツ交換占いをし、患者同士の闘争を描き、ツーリングをして、映画評を書き、おもちゃを衝動買いする。
こんな闘病記が今まであっただろうか。
文章を書くことは情報を提供することで、その基になる情報を自分の中に取り込んでいなくてはならない。奥山貴宏はそのためにガン患者とは思えないほど活動している。科学治療でボロボロになった身体で、ツーリングや映画やショッピングに出かける。ガンによって行動を制限されることは、取り込む情報を制限することになり、書くことを制限することになる。書くことを制限されるのは、死ぬことよりも嫌だという執念を感じます。
闘病記を手に取った読者は、死を告げられた人の精神に最も関心を寄せると思う。彼は死を告げられた人に違いないが、それ以前に、文章を書いて生活をしているプロのライターなのです。プロとして自尊心が、読み物として革新的な書籍を遺すことに、自己の死を乗り越える活路、活きる路を見出したのだと思います。
とはいえ、この作品に死に対する彼の内面が全く描かれていない訳ではない。
面白いエピソードの中の一文に、検査結果に表されるデータに、ある日のコラムのタイトルに、彼の生活が不自由になっていく様子に、ふと彼の魂を知ることができる。彼が書き放つ魂のリアルは、読者を突き刺すほどに強い。
別に僕は彼の宣伝マンではないのですが、「31歳ガン漂流」だけではなく、続編の「32歳ガン漂流
エヴォリューション」「33歳ガン漂流 ラスト・イグジット」も読んでほしい。
作品が進むに連れて、彼が目指した「精神性の排除」というコンセプトが崩れてくるからです。コンセプトを貫くためのエネルギーがガンとの闘いに奪われていくように、隠されていた精神性が表現されていく。読者を強引に自分のコンセプトに引き込んでいた強さがなくなり、作品を通じて闘病に向かう気力を読者へ依存するという、ステレオタイプな闘病記へと変わっていきます。
ネットや携帯電話やブログで読者とリアルタイムのやり取りをするなど、テクノロジーを駆使した新しい表現方法を示すことになったが、表現しようとしたことの中身は、彼の意に反してガン細胞に崩されてしまった。
それでも彼は恋人や家族や愛する人のためでもなく、慈善事業やボランティアや人助けでもなく、「文章」に残されたエネルギーを注いだ。
ガンは彼に若すぎる死をもたらし、医療では彼を救うことができなかった。その究極の絶望の中で彼を救ったのが「文章」だったのだと思う。コンセプトが崩れようと、「文章」は彼に生きる力を与え続けた。
僕らはここに、ガンという病気の強さや恐ろしさを知り、人の尊厳や自尊心の意味を知る。彼が職業にして大切にしてきた文章は、彼自身が紡ぎ、読者が紡ぐことで、崩れゆく彼の体を螺旋のように包み、支えていったのです。
釈迦は死への恐怖や苦悩に正面から向き合い、生死のダイナミズムを体感して、仏教の開祖となった。
手塚治虫の「ブッダ」に、人の死を予言できるアッサジという子が登場するのですが、アッサジは自分の死を予言し、釈迦の前でその通り死んで見せた。死への恐怖を見せることがなかったアッサジは、釈迦の悟りの重要なファクターとなった。
アッサジは釈迦に生死を悟らせるために手塚治虫が創った架空の人物だが、生身のアッサジである奥山貴宏は、アッサジが釈迦に死を悟らせるために存在したように、自らがプロの物書きであることを証明するために生きた。そんな風に思う。
彼の闘病日記をネットで見ながら、彼の命がまだあることにホッとして、いつまでも書き続けて欲しいと願っていた。
亡くなる1日前に彼が送ったメッセージの冒頭で、彼は今の自分の気持をズバリ伝えた。書かなくても充分に伝わっていることを文章にし、彼が抱き続けた葛藤の中身を曝け出したことは、僕を含め読者の感情を激しく揺さぶった。
作品「ガン漂流」として、見事な結末でした。
人間「奥山貴宏」として、痛々しいほどに凄まじい結末から、僕らは何を受け止めるべきなのだろう……。
彼が秘密の居場所にしていた荻窪のカフェ「moi」で白い壁を見つめながら、長い息を吐いた。
評者→浅羽 祐治(33歳):小説との出会いは19歳の頃でした。喫茶店が好きで、隅っこの席に長時間居座っ
て、片肘ついてアンニュイに煙草をふかし、手垢のついた文庫本に没頭する学生、と いうポーズをしてみたかったから。 |
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