今週の一本
「世界の中心で、愛をさけぶ」
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今回のレビュー、ぶっちゃけて言うとヤル気がないのだ(言っちゃった)。何故なら私、恋愛モノが苦手なのです。恋愛要素がある映画でも『メリーに首ったけ』とか『ポストマン・ブルース』なんかは大好きなんですが、恋愛を全面に押し出した映画の良さって、サッパリ分からないのです。つまり当レビューは、恐るべき事に、恋愛映画の何たるかを全く理解せぬ極度の恋愛映画音痴によって書かれています。ですので、くれぐれも真に受けぬようご注意ください。
監督は『GO』の行定勲。主人公の朔太郎には大沢たかお。その婚約者・律子にセカチューブームの火付け役となった柴咲コウを起用。高校時代の朔太郎に、5歳の頃から舞台に立っているという森山未來。その同級生・アキを長澤まさみが生き生きと演じます。他に写真屋のジジイ・重蔵役で、山崎努が説得力のある芝居を見せてくれます。
上映が始まって数分後、さっそく私の脳が拒絶反応を起こしました(はやっ!)。スクリーンに映し出される感動ストーリーをどうしても素直に受け入れられず、逆に頭の中ではいちいちツッコミが入ります。そのツッコミの激しさたるや、まるで横山やすしが降霊したかのようでした。
「なんでこの女は黙って姿を消す必要があるねん!」
「なんで姿消した直後、テレビのニュース番組で偶然発見されるねん!」
「なんでこの男は姿消した女を探しに行く前にケータイで連絡せえへんねん!」
こうなるともう止まりません。私の心の中のやすし師匠はほんの些細なことも指摘し始めます。
「なんでこいつら、雨やのに傘ささへんねん!」
「なんでこいつら、ずっと同じ服やねん!」
「なんでこいつら、ウォークマン聞くとき、いつも目ぇ閉じるねん!」
「おこるでしかし!おこるでしかし!」
いかん。このままでは埒が明かん。邪念を捨てろ。「この手の映画は頭で考えるな!心で感じるんだ!」と、かつてブルース・リー師父も言っていた(ウソつけ)。しかし残念なことに、私の頭に浮かぶのは疑問と怒りのみ。頭の中が「なんでやねん」と「おこるでしかし」で一杯だ。結局ラストシーンまで脳内ツッコミ作業に追われて、もうクタクタ。
確かに私は恋愛映画が苦手です。しかしそれを差し引いたとしても、これはちょっとひどすぎやしないかい?登場人物がかなり電波系だぞ。あまりにバカバカしいので言いたかないが、敢えて言おう。まず、律子さん。あんた、小学生の頃に届けられなかったカセットテープを届けに行くのはいいが、当時と同じ場所(学校の下駄箱の中)に届けても、相手はとっくの昔に卒業してますよ。あれから15年以上経ってるんですよ。大丈夫ですか?それから、朔太郎さん。あんた、姿を消した婚約者を追って地元へ帰るのはいいが、その婚約者を全く探さないどころか、昔死んだ別の女の子のこと思い出しちゃって、「あの子のことが忘れられない!オレは一体どうすりゃいいんだぁー!」って、アホか。早く行方不明の婚約者探せよ!探してやれよ!探してやって下さいよ!
本作は“過去”と“現在”が交互に語られる構成になっていますが、作品の半分以上を占める“過去”の回想パートはそれほど悪くないと思います。若手2人の芝居は初々しくて爽やかだし、そこはかとないノスタルジーも感じさせてくれる。が、しかしだ。
・原付に2人乗りして、背中にあたる胸の膨らみにドッキドキ!
・浜辺でバスタオル越しに水着に着替えるシルエットにドッキドキ!
・誰もいない島で2人きりで過ごす一夜にドッキドキ!
などのシチュエーションがいちいち私の中で物議を醸し出します。だって、お子ちゃま向け恋愛マンガ並みに安易なシチュエーションなんだもん。少年サンデーじゃないんだから…。これじゃ“回想”というより“妄想”だぞ。それも男子中学生(ド○テイ)の妄想だ。
い…いやまぁ、それは良しとしよう。こういう分かりやすいお約束こそが恋愛映画の基本だということにしておこう。そしてさらに、白血病ネタを使ったコッテコテの泣かせ方も良しとしようじゃないか。実際、客席には目から涙を滝のように流している方もいらっしゃいました。中には私のように完全にシラケてしまい、ポカーンと口を開けて腑抜けと化している不届き者もいましたが、そこはもう感性の違いでしょう。
でも“現在”パートのお粗末さは許しがたい。やはり一番の問題は、朔太郎と律子の関係があまりに不自然な点でしょう。この2人、結婚を間近に控えた恋人同士とは到底思えない。お互いのことを何も知らないし、なんだか他人行儀。連絡を取り合うこともなく、偶然姿を見付けてもなぜか声をかけず、やり過ごしてしまう。その上、朔太郎は超自己中で律子への思いやりゼロだし、そんな彼に対して何の不満も言わない律子はまるで感情の無いロボットのようだ。
要はこの2人、創り手の操り人形なのです。本作の売りの一つとして、アキが遺したカセットテープによってストーリーが展開していくというギミックがあります。このカセットテープは朔太郎とアキを繋ぐ絆であると同時に、律子とアキを繋ぐアイテムでもある。しかし、アキを通して朔太郎と律子の心が通じ合うのはラストに持っていきたい。そのために、朔太郎と律子は最後までお互いを干渉せずに行動しているのでしょう。それならいっそのこと婚約者という設定をなくして、他人の2人がすれ違いつつ合流するようなマルチシナリオ構成にすればいいのに。かつて一人の少女の死を経験し、心に傷を負った2人の男女が少女の思い出を追いかけるうち、再び出会い、癒される。これなら恋愛要素が適度に薄れて、もっと爽やかな感動作になったのではないでしょうか。
どんな映画にも、現実離れした“ご都合”というものが少なからず存在するものです。観客はそれを無意識に許容しているからこそ、素直に作品を楽しむ事ができるのでしょう。しかし本作の“ご都合”は、私が許容できる範囲をことごとく越えていました。はっきり言って、ついて行けません。しかも製作側はそれらの不自然さを「この作品はファンタジーなのです」と主張することでごまかそうとしているフシがある。確かに本作には意図したファンタジー描写がいくつも見受けられますが、意図しない“ご都合”までをひっくるめて“ファンタジー”としてしまうのは如何なものか。そんなの只の怠慢だ。観客をナメているとしか思えない。そんな超ご都合主義映画である本作に、日本ラズベリー賞を贈りたい(そんな賞ないぞ)。
評者→青木泰子(31):いい映画って少ないですね。年に数本見つかれば多い方。これじゃあまりに寂しい。ならば残ったダメ作品を楽しむしかない。例えダメな作品でもダメなりに楽しく紹介する、そんなレビューになればいいな。
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