映画レビ ブックレビ ひとこま画像 2002年9月4日号

 【隔週更新音楽レビュー】著:企画制作会社勤務 斎藤 滋(24)

今週の一曲
「カレーライスの女」
ソニン

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カレー好きですか?斎藤です。カレーって、いいですよね。単純だからこそ、色々なバリエーションがあるし、家庭それぞれの味もあったりして。人それぞれ好きなカレーってありますよね。それと作る面でも、多少は味がゴマかせるから、彼にふるまう料理として無難。簡単そうで懐の深い料理です、カレー。

ってわけで、今週は、裸エプロンのジャケや、「カレーライスの女」ってタイトルなど、企画モノ感アリアリの、ソニンのソロデビューシングル「カレーライスの女」について。
で、何が“カレーライス“かと言えば、上京してすぐ付き合った男と別れてしまって、友達もいないし、とりたてて趣味もないことに気付いてしまった。残ったものと言えば彼が好きだったカレーの作り方だけ。ってことなんですけど、詞全体で説明しすぎかな、と。

”カレー”って言葉は本文のどこにもないのだけど(ないから?)、<今の私はそれ(カレーの作り方を覚えたこと)が全て>とまで、ハッキリ言ってしまっていたり、全体的に説明過多かな、と。そのわりに、本文中に登場しないせいなのか、“カレー”に必然を感じない。彼とカレーの思いでも<あなたが大好きな料理>としか言ってないし、彼は<結局あんまり来なかった>とも。“カレー(を作ること)“が歌全体で果たす役割は弱い。

食品で象徴したタイトルの歌として思い浮かぶのかが「セロリ」ですよね。こっちでは“セロリ”は本文にも出てくるものの、<セロリが好きだったりするのね>とそれだけ。だからなんだ、ってことは一切歌ってない。でも、全体を聴き終ると、タイトルの“セロリ”は“イマイチ噛み合わない僕達”ってことの象徴なんだな、と気付きニヤッとするわけですよ。セロリが好きな君⇒意外なところがある/大人。セロリが嫌いなぼく⇒大人になりきれていない。ってことを伝えてる。こうやって説明するのはなんか恥ずかしいくらい自然に“セロリ”って言葉が効いてる。この曲のタイトルは「セロリ」しかありえないようにできているのです。

また、恋愛における料理についても、もっと触れてもよかったのでは。料理の美味しい・美味しくない、って最終的には個人の好みの問題ですよね。それを共有できることの喜び。それと、相手に料理を作る、っていう生活を共有できている喜びが。もっと詞中で、今の悲しみを強調するスパイスになってればよかったのにな、とも思いました。

そんなわけで、「カレーライスの女」はせっかく“カレー“を使うんだから、彼が好きだった料理を覚えた、ってことだけに留まってしまったのがもったい。“カレー“は家庭料理の定番で、それぞれの好みがあるけど、私が作ったカレーを彼は好きって言ってくれてた。って流れで、生活に関わる価値観の共有だとか、地に足付いた恋愛だった、ってことを印象付けるキーワードとして使ってくれたらな、と。せっかくタイトルに使うんだから、”カレー”って言葉が持ってるイメージをもっと上手く活かして欲しかった。

今週は以上です。

評者→斎藤 滋(24):一番好きな歌はスーパーカーの「Sunday People」。言葉で激しく主張するのではなく、メロディ、アレンジ、詞が絡み合い、全体で“何か”を伝えてくれる曲が好きです。スガシカオの人の心の動きとシチュエーションを切り取る詞も好な一方、全盛期の小沢健二の暴力的なまでのキャッチーさにもひかれたりします。

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