映画レビ ブックレビ ひとこま画像 2003年3月12日号

 【隔週更新音楽レビュー】著:企画制作会社勤務 斎藤 滋(24)

今週の一曲
「サヨナラ」
スガシカオ

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フラレるのと、フルのどっちがいいですか?・・・って、やっぱりフルほうがマシですよね。サイトウです。

前回に引き続き、好きなものシリーズになってしまいました。
ということで、今回はスガシカオの「サヨナラ」です。

デビュー以来のディレクターについてレコード会社替わったとか、山梨の山中にこもって音作りに励んだとか、2年半振りの新アルバムのパイロット・シングルになるとか、色々気になる付属情報の多いこの曲ですが、相変わらず彼らしいイイ曲です。

まず、音。今までなかったことはないんですが、ちょっと意外なくらいホーンが多様してあります。彼独特のハスキーボイスの歌と交互に、気持ちよく出たり入ったりして、かぶったりしてどちらかがどちらかを殺したりせず、きれいに絡み合っています。全体的に沈み気味で重めのビートも、自ら別れを告げる男の勝手な憂鬱を感じさせて良い感んじです。

そして、詞が相変わらずエグイ! スガ氏の詞の特徴として、どこか他人事風なところがあげられる気がします。詞中の1人称はほとんど「ぼく」。2人称も「君」か「あなた」。決して「俺」や「お前」ではない。一歩引いた傍観者の視点で、人の心の深いところを他人事では終わらせないくらいエグっていきます。

今回の曲で言うと、サビの最後のフレーズ、<♪ねぇ いつの日か ぼくにも/うまくサヨナラを伝えてね>という部分がこの歌のテーマではないかな、と思います。
自分から別れを告げて、いつか相手から許してもらえる日が来ることを望んでいる、ってとこだと思うんですよ。

でも、その前までのサビの歌詞は、<♪「ねぇ どれかひとつあきらめたら/ぼくらうまくいくかなぁ…」/ずぶ濡れの心は 迷っていた> <♪誰のせいにもしないよ/ぼくのこと世界中に悪く言ってもいいよ> <♪明日 ぼくは ぼくとサヨナラ/ちょっと前に進もう>とか迷いだったり、潔さだったり、前向きさを歌っているんですが、この部分は全然核心ではない。イイワケに聞こえるんです。(笑)
自分からサヨナラを言おうとするけど、往生際悪くて、「いつかはわかってくれよ」。
ぼく、ほとんどフラれたことしかなくて(泣)、想像でしかない部分があるんですが、仮にも一応好きだった人と別れるんだから、たとえ長い目で見たら二人のためだとしても、そう簡単にはいかないですよね。涙をこらえつつも前向きに、なんて。
前の部分の迷いとか潔さって、自分に対するいい訳だと思うんですよ。自分の気持ちを整理するための。
結局、何を言ったところで、自分が相手に告げた「サヨナラ」を理解してもらいたいんですよ。そして、罪悪感から開放されたい。そんな気がします。
そういう意味で、別れにまつわる複雑で情けない心境を、各フレーズだけでなく構成面も合わせて、うまいこと描きだしてると思います。

上記のような、スガシカオらしいいやらしさ(褒めてます)がちゃんと盛り込まれている今作は4点とさせていただきます。満点としなかったのは、どこか傑作というには力不足なところを感じたからです。デビューして丸5年がたったらしいんですけど、マンネリと言うといいすぎですが、「スガシカオ」のイメージが固まってきた反面、もう驚かせてもらえないのかな、なんて。
本人も「デビュー時の目的、"日本語でもってけるファンク"は一応形になったので、仕切りなおしかな」と一昨年あたり言っていました。で、色々考えて今回は山こもったらしいですけど。その結果、あまりにもスガ的な良曲が出来てしまっているので、ちょっとつまんないな、なんて思ったりして。
まぁ、「さくら」出したころのサザンのように、時代についていこうとしていっぱいいっぱいになられても困るのですがね。
そこで今後は、「サヨナラ」であれば、別れを告げられる方の立場、自分のほうじゃない人についてももうちょっと掘り下げてもいいかな、と思います。スガ氏の詞は、相手のことは薄く、「ぼく」の悶々とした思いだけが語られていくものが多いです。他人を見ても、それを鏡に自分をみているようなところがありますし。
器用な人っぽいので、やったらなんでも出来そうなので、期待は大きいです。

今週は以上です。それでは、また次回。

評者→斎藤 滋(24):一番好きな歌はスーパーカーの「Sunday People」。言葉で激しく主張するのではなく、メロディ、アレンジ、詞が絡み合い、全体で“何か”を伝えてくれる曲が好きです。スガシカオの人の心の動きとシチュエーションを切り取る詞も好な一方、全盛期の小沢健二の暴力的なまでのキャッチーさにもひかれたりします。

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