ウクライナ(旧ソ連)のチェルノブイリ原子力発電所4号機が1986年4月に爆発事故を起こしてから間もなく20年がたつ。ウクライナ政府の許可を得て、原発から半径30キロ・メートルの立ち入り制限区域に入った。
史上最悪の原発事故の後遺症に、原発事故の深刻さと悲惨さが重く心にのしかかった。
2月23日、首都キエフ市から約2時間車で走ると、丘と針葉樹林の先に立ち入り制限区域の検問所が現れた。小雪の舞う中、日本から持ち込んだ線量計で放射線を測ると1時間0・13マイクロ・シーベルト。キエフ市内のホテルと変わらない。
原発から4キロ・メートルの廃村の幼稚園前で10マイクロ・シーベルトを記録。1年暮らすと一般人の被曝(ひばく)許容量の90倍近い放射線を浴びる計算になる値だ。もちろん短時間なら問題ないが、線量計を見ていると不安になる。
事故では広島型原爆500発分の放射性物質が放出された。放射能が半分に減る期間(半減期)は、セシウムやストロンチウムで約30年。プルトニウムに至っては2万4000年もかかる。立ち入り制限を解除するめどは立っていない。
30キロ・メートル圏内には、定住者はいないはずだが、制限を無視して戻った約320人が住む。停止した1〜3号機の保守や森林火災防止のため7600人が働く。
核テロ対策で厳重に警備される発電所では4号機を覆う「石棺」から300メートルの壁までしか近付けない。鉄骨とコンクリートの石棺は放射線を遮へいするが、線量計は10マイクロ・シーベルトを超えていた。ここは防護服やマスクをする必要がないが、石棺内部は放射能が強く、4分の3は今も人が入れない。
事故直後に急ごしらえされた石棺は壁が傾き、倒壊の危険性が強まる。欧米などの支援で石棺補強とともに新シェルター建設計画が進んでいるという。新シェルターは高さ110メートル、幅約260メートル、奥行き約150メートルのかまぼこ形で石棺を覆う。間もなく建設業者が決まる見込みだ。100年以上の耐久性を持ち、2010年の完成後、シェルター内で石棺を解体する。
地下に流出した大量の核燃料の処理は、後世にツケが回される。計画を指揮するフィリップ・コンバート氏は「現在の技術ではこの核燃料を安全に回収し処理することはできない。今後少なくとも50年は待たないと無理だろう」と話す。
原発から検問所への帰路、サッカーのグラウンドが7、8面は取れそうな野原にヘリコプターやトラックのさび付いた残骸(ざんがい)があった。迷彩服を着た管理人が2、3000台はあるという残骸を見守る。有刺鉄線に囲まれた核廃棄物置き場は、うっすらと雪に覆われ、墓地のように静かだった。
[読売新聞(3月7日)より引用]
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