橋本龍太郎(はしもと・りゅうたろう)元首相が1日午後2時、多臓器不全のため、入院先の東京・新宿の国立国際医療センターで死去した。68歳だった。自宅は東京都港区南麻布3ノ5ノ49。告別式は近親者のみで行う。喪主は長男、龍(りょう)氏。
橋本氏は6月4日夜に腹痛を訴え入院。腸管虚血と診断され大腸の大部分を切除する手術を受けたが、最近は意識が戻らない状態だった。
慶大卒、呉羽紡績(現東洋紡)勤務を経て、厚相などを務めた父、龍伍氏の死去を受け、1963年の衆院選に初当選。14回連続で当選した。
自民党内では「竹下派七奉行」の1人として頭角を現し、党幹事長、蔵相、通産相、運輸相などを歴任。「政策通」としての評価が高く、社会保障分野などで大きな影響力を発揮した。自民、社会、新党さきがけ3党連立政権の下、95年に自民党総裁。96年1月の村山富市首相退陣を受け、首相に就任した。
[日本経済新聞(7月1日)より引用]
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